判例

最大判昭47.11.22:小売市場距離制限事件

論点

  1. 営業の自由は憲法上保障されているか?
  2. 小売市場の許可規制は憲法22条1項(職業選択の自由)に違反しているか?

事案

X1株式会社は、市場経営を業とする法人であった。その代表者であるX2が、大阪府知事の許可を受けないで、東大阪市に平家(平屋)建て1棟を建設し、新しく小売市場とするために野菜商4店舗、生鮮魚介類商3店舗を含む49店舗を小売商人ら47名に貸し付けた。
この行為が、小売商業調整特別措置法第3条第1項に違反するとして、X1とX2が起訴された。

※小売商業調整特別措置法第3条第1項では、上記小売市場とするため、建物を貸し付ける行為については許可が必要であると規定しており、一方、許可の基準として、小売市場間の距離制限700m(半径700m以内に小売市場を設置できない)が設けられている。

判決

営業の自由は憲法上保障されているか?

→保障されている

憲法22条1項の職業選択の自由は、広く一般に、いわゆる営業の自由を保障する趣旨を包含している。

小売市場の許可規制は憲法22条1項(職業選択の自由)に違反しているか?

違反していない(合憲)

国が積極的な社会経済政策の実施の一手段として、立法により個人の経済活動に対し一定の規制措置を講ずることは、それが目的達成のため必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、憲法に反しない。

したがって、個人の経済活動に対する法的規制措置は、立法府がその裁量権の逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白な場合に限って、これを違憲とすることができる

本法による小売市場の許可規制は、国が社会経済の調和的発展を企図し、中小企業保護政策として採った措置であり、その目的において、一応の合理性を認めることができるし、規制の手段・対応においても著しく不合理であることが明白であるとは認められない。

したがって、小売市場の許可規制は、憲法22条1項に反せず、違憲ではない

最判平5.3.16:第一次家永教科書事件

論点

  1. 教科書検定制度は、憲法21条2項(検閲の禁止)に違反するか?
  2. 文部大臣の判断は、どのような場合に裁量権の逸脱として国賠法上違法となるか?

事案

日本史研究者の家永三郎氏は、昭和27年以降、教科書「新日本史」を執筆し、出版社である三省堂から発行してきた。しかし、昭和35年の学習指導要領の改正により、家永氏は「新日本史」を全面的に改訂して教科書検定の申請をしたところ、323か所にわたる欠陥があったとして、検定不合格とされた。これを受けて家永氏は、原稿に修正を加えて、再度検定の申請をしたところ、文部大臣は、欠陥修正後の再審査を条件とする条件付検定合格とした。

このため、家永氏は不本意にながらも修正指示に従い、欠陥とされた記述を修正し、これを教科書として発行した。しかし、教科書の発行は予定よりも1年遅れた。

そこで、家永氏は、国を相手取り、文部大臣のした本件各検定処分が違法であるとして、慰謝料、逸失利益の支払いを求めて国家賠償訴訟を提起した。

判決

教科書検定制度は、憲法21条2項(検閲の禁止)に違反するか?

→違反しない

検閲とは、下記6つの要件を満たすものを言います。

  1. 行政権が主体となって、
  2. 思想内容等の表現物を対象とし、
  3. 表現物の一部または全部の発表を禁止する目的で、
  4. 対象とされる表現物を網羅的一般的に、
  5. 発表前に審査した上、
  6. 不適当と認めるものの発表を禁止すること

本件検定は、一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲には当たらず、憲法21条2項の検閲禁止の規定に違反するものではない。

文部大臣の判断は、どのような場合に裁量権の逸脱として国賠法上違法となるか?

教科用図書検定調査審議会の判断の過程にし難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合

検定の審査基準等を直接定めた法律はない。

しかし、文部大臣の検定権限は、憲法上の要請にこたえ、教育基本法、学校教育法の趣旨に合致するように行使されなければならない。

検定の具体的内容等を定めた旧検定規則、旧検定基準は、憲法上の要請及び各法条の趣旨を具現したものであるから、右検定権限は、これらの検定関係法規の趣旨にそって行使されるべきである。

そして、これらによる本件検定の審査、判断は、申請図書について、内容が学問的に正確であるか、中立・公正であるか、教科の目標等を達成する上で適切であるか、児童、生徒の心身の発達段階に適応しているか、などの様々な観点から多角的に行われるもので、学術的、教育的な専門技術的判断であるから、事柄の性質上、文部大臣の合理的な裁量に委ねられるものというべきである。

したがって、合否の判定、条件付合格の条件の付与等についての教科用図書検定調査審議会の判断の過程に、原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反するとの評価等にし難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断は、裁量権の範囲を逸脱したものとして、国家賠償法上違法となると解するのが相当である

判決文の全文はこちら>>

最大判昭38.5.22:東大ポポロ事件

論点

  1. 教授の自由は憲法上保障されるか?
  2. 大学の自治の内容は?
  3. 政治的社会的活動に当たる行為は、憲法23条(学問の自由)によって保障されるか?
  4. 大学生が、学問の自由を享有し、また大学当局の自治的管理による施設を利用できる範囲は?

事案

東京大学の学生団体「ポポロ劇団」は、大学の許可を得て、同大学の教室内において、松川事件を題材とする演劇を行っていた。

この松川事件とは、国鉄の労働組合が、国鉄への反発として、機関車を脱線させた事件で、社会的な事件と言えます。

このようなテーマを題材として演劇を行っているため、私服警察は、大学の正式な許可を得て大学の教室内で客としてみていた。

この演劇を発表している際、観客の中に私服警官がいるのを学生が発見し、学生が警官の身柄を拘束し、警察手帳を奪い、謝罪文を書かせた。

この際、被告人Yは、洋服内のポケットに手を入れ、服のボタンをもぎ取るなど、暴行を加えたとして、起訴された。

学生は、大学の自治を主張して争われた。

判決

教授の自由は憲法上保障されるか?

憲法23条は、教授の自由を必ずしも含むものではないが、大学における教授の自由は、憲法の趣旨と学校教育法52条に基づいて保障されている。

憲法23条(学問の自由は、これを保障する。)は、広くすべての国民に対して、「学問的研究の自由」と「その研究結果の発表の自由」を保障するとともに、特に大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨とする。

一方、「教育ないし教授の自由」は、学問の自由と密接な関係を有するけれども、必ずしもこれに含まれるものではない。

しかし、大学については、憲法の趣旨と学校教育法52条により、教授その他の研究者が、その専門の研究の結果を教授する自由が保障される

大学の自治の内容は?

人事に関して認められ、また、大学の施設と学生の管理についてもある程度認められる。

大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められる。

この自治は、特に大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任される。

また、大学の施設と学生の管理についてもある程度認められ、これらについてある程度で大学に自主的な秩序維持の権能が認められている。

政治的社会的活動に当たる行為は、憲法23条学問の自由)によって保障されるか?

保障されない

大学における学生の集会(本件演劇)も、実社会の政治的社会的活動に当たる行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない

本件集会(演劇)は、真に学問的な研究と発表のためのものではなく、実社会の政治的社会的活動であり、大学の学問の自由と自治は享有しない。

したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を侵すものではない。

大学生が学問の自由を享有し、また大学当局の自治的管理による施設を利用できる範囲は?

大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づく。

そのため、大学の学問の自由と自治は、直接には、『「教授その他の研究者」の「研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由」』と『これらを保障するための自治』を意味する。

大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によって自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである。

そして、憲法23条の学問の自由は、学生も一般の国民と同じように享有する。

しかし、大学の学生として、一般国民以上に学問の自由を享有し、また大学当局の自冶的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基づき、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである

 

判決文の全文はこちら>>

最判昭28.12.23:皇居外苑使用の不許可処分

論点

  1. 訴えの利益は、申請にかかる使用期日を経過すれば喪失するか?
  2. 本件不許可処分は、憲法21条、28条に違反しないか?

事案

日本労働組合総評議会Xは昭和27年5月1日のメーデーに使用するため、皇居外苑を管理する厚生大臣(現厚生労働労働)Yに対して、外苑内の公園の使用許可を申請したが、Yは昭和27年3月13日に不許可の処分をした。そこでXは、同処分は憲法21条(表現の自由)、憲法28条労働基本権:団体行動権)に違反するとして、不許可処分取消しの訴えを提起した。

メーデー:労働者が統一して権利要求と行進など活動を取り行う日(労働者の日)

判決

訴えの利益は、申請にかかる使用期日を経過すれば喪失するか?

喪失する

厚生大臣は5月1日の使用を許可しなかっただけで、将来にわたり使用を禁じたものではない。そうであれば、Xの請求は、同日(5月1日)の経過により判決を求める法律上の利益を喪失したものといわなければならない。

本件不許可処分は、憲法21条、28条に違反しないか?

国民が皇居外苑に集合し利用することは、同公園の目的にそうから、その利用の許否(許可するか否か)は厚生大臣の自由裁量ではなく、公園としての使命を達成させるよう考慮した上で決しなければならない。

本件不許可処分は、公園が著しい損壊を受け管理保尊に著しい支障を被ること、長時間一般国民の本来の利用が阻害されること等を理由としてなされたものであり

自由裁量によったものではなく管理権の運用に誤りはない

また、当該厚生大臣の許否は、厚生大臣の管理権の範囲内のことであり、

元来厚生大臣の権限ではない集会・示威運動を行うことの許否ではない、

したがって、本件不許可処分は何ら、表現の自由・団体行動権自体を制限することを目的とするものではないので、違法ではない

最判昭62.4.24:サンケイ新聞事件

論点

  1. 憲法21条によって、反論文掲載請求権(反論権:アクセス権)は保障されているか?

事案

新聞社Yは、翌年予定されている参議院議員選挙を前にして、Yの発行するサンケイ新聞に自民党を広告主とする意見広告を掲載・頒布した。

その広告の内容は、日本共産党Xが定めた「民主連合政府綱領についてのXの提案」はXの党綱領と矛盾しているとし、ゆがんだ福笑いの絵とともに指摘、批判したものであった。

XはYに対し、Xに原文どおり無料で掲載することを求めたが、Yは有料の意見広告としてであれば応じるが、無料では応じれないとして拒否した。

Xは反論文の無料掲載を求める仮処分を申請したが、却下された。そこでXは同一スペースの反論文の無料掲載を求める訴訟を提起した。

判決

憲法21条によって、反論文掲載請求権(反論権:アクセス権)は保障されているか?

保障されない

まず、憲法21条(表現の自由)は、私人相互の関係については適用ないし類推適用されるものではない。その趣旨からすると、憲法21条の規定から、直接に、反論文掲載請求権(意見広告や反論記事の掲載を求める権利)が他方に生ずるものではない。

また、民法723条の名誉回復処分または人格権としての名誉権に基づく差止め請求権も、不法行為の成立を前提として初めて認められるものであって、この前提なくして反論文掲載請求権を認めることはできない。

反論権の制度が認められるときは、新聞を発行・販売する者にとって、その掲載を強制されることになり、また、そのために本来ならば他に利用できたはずの紙面を割かなければならなくなる等の負担を強いられる

そして、これらの負担が、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゅうちょさせ憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながる恐れも多分に存する

したがって、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論文掲載権(反論権・アクセス権)をたやすく認めることはできない

以上のことから、反論権は憲法によって保障されていない。

最大決昭和44.11.26:博多駅フィルム提出命令事件

論点

  1. 報道の自由は、憲法21条によって保障されるか?
  2. 取材の自由は、憲法21条によって保障されるか?
  3. 取材の自由は、どのような場合に制約を受けるか?

事案

アメリカ原子力空母エンタープライズの佐世保寄港に対する反対運動に参加しようとしていた全学連(学生運動団体)の学生らが、博多駅で下車した。警備にあたっていた機動隊員は、当該学生らに対し、実力で駅構内から排除するとともに、改札口で検問と持物検査を行った。これに対して、護憲連合会等は、警察官の行為が特別公務員暴行陵虐罪・職権濫用罪にあたるとして告発したところ、地検が不起訴処分としたため、付審判請求を行った。

この裁判において、福岡地裁は、地元福岡のテレビ局4社に対し、事件当日のフィルムの任意提出を求めたが拒否されたため、フィルムの提出を命じた。 この命令に対して4社は、「報道の自由の侵害・提出の必要性が少ない」という理由に通常抗告を行った。

判決

報道の自由は、憲法21条によって保障されるか?

保障される

報道機関の報道は、国民の知る権利に奉仕するものである、

そのため、事実の報道の自由は、憲法21条の保障のもとにある。

取材の自由は、憲法21条によって保障されるか?

→憲法21条の精神に照らし十分尊重に値する

報道機関の報道が正しい内容を持つためには、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値する。

取材の自由は、どのような場合に制約を受けるか?

公正な刑事裁判の実現というような憲法上の要請があるとき

取材の自由といっても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることがある。

具体的には、公正な刑事裁判を実現するために、報道機関の取材活動によって得られたものが証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度制約をこうむることとなってもやむ得えないところというべきである。

最大判平元.3.8:レペタ訴訟

論点

  1. 法廷でメモを取る自由は、憲法で保障されているか?
  2. 法廷でメモを取る行為を制限することはできるか?

事案

アメリカ国籍のレペタ氏Xは、アメリカワシントン州の弁護士で、国際交流基金の特別研究員として日本で経済法の研究を行っていた。その一環として、所得税法違反の事件の各公判を傍聴した。Xは、各公判期日の前に、担当裁判長に対して、7回にわたり傍聴席においてメモを取ることの許可を求めたが、いずれも許可されなかった。

そのためXは、上記不許可は憲法に違反するとして、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めた。

判決

法廷でメモを取る自由は、憲法で保障されているか?

→憲法21条1項の精神に照らし尊重に値する

憲法21条1項では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」としている。

そして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会を持つことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上で欠くことのできないものである。

このような情報に接し、これを摂取する自由は上記趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然導かれるところである。

ただし、筆記行為は、一般的には人の生活活動の一つであり、生活のさまざまな場面において行われ、極めて広い範囲に及んでいるから、そのすべてが憲法の保障する自由に関係するものということはできない。

しかし、情報等の摂取を補助するためにする筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重されるべきである。

法廷でメモを取る行為を制限することはできるか?

特段の事情のない限り、制限することはできない

情報等の摂取を補助するためにする筆記行為の自由も、「他者の人権との調整」や「優越する公共の利益を確保する必要」から一定の合理的制限をうけることはやむを得ない。

しかも、筆記行為の自由は、憲法21条1項によって直接保障される表現の自由と異なり、その制限には、表現の自由に制約を加える場合の厳格な基準が要求されるものではない。

そして、公正かつ円滑な訴訟の運営は、傍聴人がメモを取ることに比べればはるかに優越する法益である。

しかし、傍聴人のメモを取る行為が公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げることは通常ありえず、特段の事情がない限り、これを傍聴人の自由に任せることが憲法21条1項の趣旨に合致する。

最大判昭59.12.12:税関検査事件

論点

  1. 憲法21条2項の「検閲」の意義とは?
  2. 税関検査は「検閲」に該当するか?

事案

Xは外国から、わいせつな映画フィルム、書籍など(物件という)を郵便で輸入しようとしたところ、函館税関札幌税関支署長Y1から、「これらの物件が男女の性器、性行為等を描写したものであり、関税定率法21条1項3号所定の輸入禁制品に該当する」旨の通知を受けた。

これに対し、Xは異議の申出をしたが、函館税関長Y2はこれを棄却する決定をした。

そこでXはY1およびY2に対し、上記通知および決定の取消しを求めて出訴した。

関税定率法21条1項3号
公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品は、輸入してはならない。

判決

憲法21条2項の「検閲」の意義とは?

→検閲とは、下記6つの要件を満たすものを言う。

  1. 行政権が主体となって、
  2. 思想内容等の表現物を対象とし、
  3. 表現物の一部または全部の発表を禁止する目的で、
  4. 対象とされる表現物を網羅的一般的に、
  5. 発表前に審査した上、
  6. 不適当と認めるものの発表を禁止すること

税関検査は「検閲」に該当するか?

→検閲には該当しない

輸入禁止されている表現物は、一般に、国外においてはすでに発表済みである。

したがって、輸入を禁止したからといって、それは当該表現物につき、事前に発表そのものを一切禁止するというものではない。そのため、税関検査は、事前規制そのものではない。

また、税関検査は、関税徴収手続きの一環として、これに付随して行われるもの。思想内容等それ自体を網羅的に審査し、規制することを目的とするものでもない。

したがって、検閲の上記要件を満たさないので、検閲には該当しない。

最大判昭61.6.11:北方ジャーナル事件

論点

  1. 裁判所による出版物の仮処分による差止めが検閲にあたるか?
  2. 出版物頒布などの事前差止めの実体的要件は?
  3. 出版物頒布などの事前差止めの手続き要件は?
  4. 本件事前差止めは違憲か?

事案

Yは、北海道知事選挙に立候補を予定していた。

雑誌「北方ジャーナル」の代表取締役Xは、Yに関する「ある権力主義者の誘惑」というタイトルの記事を執筆し、印刷の準備をしていた。当該記事は、全体にわたってYの名誉を毀損する記載であり、それを知ったYは、名誉権の侵害を防止するために、「印刷・製本および販売、頒布」の禁止を命ずる仮処分を札幌地裁に申請した。

同地裁はXからの審尋(意見陳述の機会)を行うことなく申請を相当と認め、即日仮処分の決定を行った。

それに対し、Xは、Yの仮処分申請、裁判官の仮処分の決定により、逸失利益等2025万円の損害を受けたとして、Yおよび国を相手に不法行為に基づき損害賠償請求の訴えを提起した。

逸失利益本来得られるべきであるにもかかわらず、債務不履行や不法行為が生じたことによって得られなくなった利益を指す。

判決

裁判所による出版物の仮処分による差止めが検閲にあたるか?

→あたらない

「検閲」とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部または一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指す。

そして、裁判所の仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合とは異なる。
つまり、行政権が主体となって行っていない

よって、『検閲』には当たらないとした。

出版物頒布などの事前差止めの実体的要件は?

事前抑制に該当し、とりわけ、対象が公的人物に対する表現行為である場合は、原則として事前差止めは許されない。例外として、①その表現内容が真実でなく、またはそれがもっぱら公益に図る目的のものでないことが明白であり、かつ②被害者が重大にして著しく回復困難な被害を被る恐れがあるときに限り、事前差止めが許される。

裁判所による差止命令が検閲に当たらないとしても、憲法21条1項(表現の自由)に違反しないかが問題となる。

まず、表現行為に対する事前抑制は、公の批判の機会を減少させ、規制の範囲が広汎にわたりやすく、濫用のおそれがある上、抑止的効果が事後制裁の場合よりも大きい。

したがって、表現行為に対する事前抑制は、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうる。(=できるだけ表現の自由を保障するということ)

そして、出版物頒布などの事前差止めは事前抑制に該当し、その対象が公的立場にある者に対する表現行為に関する者である場合には、公共の利害に関する事項であるため、憲法上、表現の自由により特に保障されるべきである。

そのため、当該表現行為に対する事前差止めは、原則として許されない。

ただし、例外的に、①その表現内容が真実でなく、またはそれがもっぱら公益に図る目的のものでないことが明白であり、かつ②被害者が重大にして著しく回復困難な被害を被る恐れがあるときに限り、事前差止めが許される。

出版物頒布などの事前差止めの手続き要件は?

原則として、口頭弁論または債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えるべきである。

事前差止めを求める場合、もっぱら迅速な処理を旨とし、口頭弁論ないし債務者審尋を必要とせず、立証も疎明で足りるとすることは、表現の自由を確保する上で、その手続的保障として不十分である。

したがって、原則、口頭弁論または債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えるべきである。

ただし、例外として、上記実体的要件を満たすとき(上記例外的に事前抑制が許される場合)は、口頭弁論または債務者の審尋は不要である。

本件事前差止めは違憲か?

→違憲ではない(合憲)

本件の記事は、実体的要件を満たし(上記例外的に事前抑制が許される場合に該当し)、手続的要件も満たしている(口頭弁論または債務者の審尋は不要)ため、仮処分は合憲である。

最判昭56.4.16:月刊ペン事件

論点

  1. 私人の私生活上の行状が「公共の利害に関する事実」にあたるか?
  2. 「公共の利害に関する事実」にあたるか否かの判断基準は?

事案

雑誌「月刊ペン」の編集局長である被告人は、「月刊ペン」の中で、宗教法人創価学会を批判し、同会会長の池田大作氏の私的行動を取り上げ、当該雑誌上に、池田大作氏の女性関係の乱れを具体的に記載した上、約3万部を発行した。

これに対し、池田大作、女性2名、創価学会のそれぞれの名誉を棄損したとし告訴され、控訴を提起された。

判決

私人の私生活上の行状が「公共の利害に関する事実」にあたるか?

私人の私生活の行状であっても、そのたずさわる社会的活動の性質や社会に及ぼす程度によっては、「公共の利害に関する事実」にあたる場合がある

私人の私生活の行状であっても、社会的活動の性質や社会に及ぼす程度によっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法230条の2第1項の「公共の利害に関する事実」にあたる場合がある。

第230条の2(公共の利害に関する場合の特例)
第230条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

第230条1項(名誉棄損)
公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

「公共の利害に関する事実」にあたるか否かの判断基準は?

摘示された事実自体の内容・性質に照らして客観的に判断されるべき