憲法

信教の自由(憲法20条)

憲法第20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

信教の自由は、明治憲法でも規定されており、保障されていました。しかし、実際は、靖国神社を中心とする神道・神社が国教として扱われ優遇され、キリスト教のように弾圧された宗教もありました。そのような過去を踏まえて、日本国憲法では、個人の信教の自由を厚く保護しています。

信教の自由の内容

信教の自由には、下記3つがあります。下記3つは憲法20条で保障されています。

  1. 信仰の自由(特定の宗教を信じる自由、信仰を変える自由)
  2. 宗教的行為の自由(礼拝、祈祷等を行う自由、布教の自由)
  3. 宗教的結社の自由(宗教団体を設立する自由、宗教団体に加入する自由)

また、上記3つをしない自由も憲法20条によって保障されています。

信教の自由の限界

誰もが信教の自由を有することから、他人の人権と衝突することもあり得ます。そのため、上記の「宗教的行為の自由」と「宗教的結社の自由」の2つは、「公共の福祉」による制限を受ける場合があります。しかし、信教の自由は内心に関わることなので、その規制に対して、慎重でなければなりません。

公共の福祉とは?

日本国憲法は第12条の後半で次のように定めています。

憲法12条
国民は,これ(憲法で規定されている自由や権利:基本的人権)を濫用してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

つまり、分かりやすくいうと、基本的人権は自分ひとりだけのものではないので、わたしたち国民は、他人の権利を侵害するような権利の使い方(=権利の濫用)をしてはいけません。国民には,社会全体がよくなる(=公共の福祉)ように、権利を利用する責任があるということです。

よって、「公共の福祉による制限」とは、社会全体がよくなるように、権利濫用を防ぐための規制ということです。

この点については、下記「オウム真理教解散命令事件」の判例を参考にしてみてください。

信教の自由に関する重要判例

  • 学生Xは、「エホバの証人」という宗教を信仰しており、宗教上の理由から、体育の剣道実技の授業の参加を拒否し、レポート提出等の代替措置を求めました。しかし、校長らはこれを認めず、体育の成績が認定されず、2年連続で留年(原級留置処分)となり、結果として、学則に従って退学処分となった。このことについて、学校教育における信教の自由の保障が争われた。
    この点について最高裁は、「学生は、信仰の核心部分と密接に関連する真しな理由から履修を拒否したものであり、他の体育種目の履修は拒否しておらず、他の科目では成績優秀であった上、右各処分は、同人に重大な不利益を及ぼし、これを避けるためにはその信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせるという性質を有するものであり、同人がレポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨申し入れていたのに対し、学校側は、代替措置が不可能というわけでもないのに、これにつき何ら検討することもなく、右申入れを一切拒否したなど判示の事情の下においては、右各処分は、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超える違法なものというべきである。」として、レポート提出等他の手段が可能なのに、他の手段について何も検討することなく、留年・退学処分としたことは、裁量権の範囲を超え、違法だとした(最判平8.3.8.:エホバの証人剣道受講拒否事件
  • オウム真理教は、大量殺人を目的とした地下鉄サリン事件を起こした。この事件を受けて、オウム真理教に対する解散命令が出され、この解散命令が、宗教的結社の自由に対する制限ではないかと争われた。
    この点について最高裁は、「解散命令によって宗教法人が解散しても、信者は法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは、新たにこれを結成することは妨げられるわけではない。すなわち、解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わないのである。
    ・・・・解散により、これらの財産を用いて信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生ずることがあり得る。このように、宗教法人に関する法的規制が、信者の宗教上の行為を法的に制約する効果を伴わないとしても、これに何らかの支障を生じさせることがあるとするならば、憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性に思いを致し、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。」 として、合憲だけれども、オウム真理教の解散により、宗教上の行為に支障が生じることもあるから、制限をかける場合は、慎重に吟味する必要性を主張した。(最決平8.1.30:オウム真理教解散命令事件

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事前抑制と検閲(憲法21条2項)

事前抑制

事前抑制の禁止というのは、何らかの表現物を発表しようとするときに、 事前にその発表を差し止めることです。事前に差し止められると、その表現内容が世の中に出てこないので、表現の自由が侵害されることになります。そのため、事前抑制は、原則禁止されています。ただし例外として、事前抑制が認められる場合もあります。下記、北方ジャーナル事件の判例では、「厳格かつ明確な要件のもと」では、事前抑制が許されるとしています。

検閲

憲法第21条2項
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

そして、事前抑制の中の一つに「検閲:けんえつ」があります。
検閲とは、下記6つの要件を満たすものを言います。

  1. 行政権が主体となって、
  2. 思想内容等の表現物を対象とし、
  3. 表現物の一部または全部の発表を禁止する目的で、
  4. 対象とされる表現物を網羅的一般的に、
  5. 発表前に審査した上、
  6. 不適当と認めるものの発表を禁止すること

事前抑制と検閲の違い

上記検閲の要件の中で特に重要な要件は、検閲の主体は「行政権」であることです。
下記北方ジャーナル事件では、「裁判所(司法権)」が主体となっているので、検閲に当たりません

そして、検閲は、例外を許さない絶対的禁止となっています。

事前抑制と検閲の関係図


事前抑制と検閲に関する重要判例

  • 外国から輸入しようした表現物が、税関長から通知があった「関税定率法に定める輸入禁止品」に該当するとして、輸入できなかった。この通知が日本国憲法第21条2項の検閲の禁止に違反するとして、争われた。この点について最高裁は、「輸入が禁止される表現物は、一般に、国外においては既に発表済みのものであつて、その輸入を禁止したからといつて、それは、当該表現物につき、事前に発表そのものを一切禁止するというものではない。また、当該表現物は、輸入が禁止されるだけであつて、税関により没収、廃棄されるわけではないから、発表の機会が全面的に奪われてしまうというわけのものでもない」として、上記要件5、6(発表前に発表を禁止する)を満たさないため、「検閲」にあたらないとした。(最大判昭59.12.12:税関検査事件
  • 雑誌「北方ジャーナル」の出版社Xは、雑誌「北方ジャーナル」の中で、知事選挙に立候補予定のYの名誉を傷つけるような記事を掲載する予定でした。それに対し、Yは裁判所に、同記事の印刷・販売等の差止めを求める仮処分を申請したところ、認められました。結果として、出版・販売等を行うことができなくなった出版社Xは、検閲および事前抑制にあたり、表現の自由を侵害だと主張して争われた。これに対して最高裁は、「憲法21条2項で禁止される「検閲」とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部または一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指す。そして、裁判所の仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合とは異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により、当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであって、『検閲』には当たらない。とした。また、この判例で、「事前抑制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法21条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうるものといわなければならない。」とも示している。(最大判昭61.6.11:北方ジャーナル事件
  • 家永らが執筆した『新日本史』という本が教科書検定で不合格とされ、検閲の禁止に違反しているのではないかと争われた。この点について最高裁は、「教科書検定は、教科書として採用するか否かの判断に過ぎず、採用されないとしても、一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないため検閲にあたらず、憲法21条2項に違反しない」、表現の自由を制限するものではないと判断しました。(最判平5.3.16:第一次家永教科書事件

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表現の自由(憲法21条)

憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

憲法19条の思想・良心の自由は、内心の自由で、
憲法21条の表現の自由は、思想や信仰等の内心を外部に発表する自由を指します。

そして、表現の自由は思想や情報を発表し、伝達する自由ですが、情報伝達には「送り手」と「受け手」が存在します。そのため、「送り手の自由」と「受け手の自由」が存在します。

「送り手の自由」には、言論・出版の自由、集会・結社の自由、報道の自由等があり
「受け手の自由」には、知る権利、アクセス権があります。

表現の自由を支える価値

「表現の自由を支える価値」とは、分かりやすく言うと、「表現の自由を保障する理由」「表現の自由で保障すべき権利」ということです。これには2つの価値(保障理由)があります。

1.自己実現の価値

個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させる個人的な価値(権利)

2.自己統治の価値

言論活動により国民が政治意思決定に関与するという民主政治に資する社会的価値
つまり、政治に参加する価値(権利)です。

上記2つの価値(権利)を保障するために表現の自由があるということです。

言論・出版の自由

言論・出版その他一切の表現の自由を保障しており、絵画、写真、映画、音楽、演劇、テレビ等、その手段を問わず広く及びます。

集会・結社の自由

集会とは、多数人がある目的のために、一定の場所に一時的に集まることを言い、集団行動の自由(デモの自由)も含みます。

結社とは、他人数がある目的のために、団体を結成することを指し、結社の自由には、具体的に3つの自由があります。

  1. 団体を結成し、それに加入する自由
  2. 団体が活動する自由
  3. 団体を結成しない自由・加入しない事由、または、脱退する自由

知る権利(憲法で保障されている)

「知る権利」には,情報受領権と情報収集権という二つの側面があり,後者にはさらに情報収集活動が公権力により妨げられないということ(消極的情報収集権)と政府に対して情報の開示を要求する(積極的情報収集権)という二つの場合が含まれます。


アクセス権(憲法で保障されていない)

アクセス権とは、「情報の受け手である国民」が、「情報の送り手であるマスメディア」に対して、個人が意見発表の場を提供することを求める権利です。例えば、反論記事の掲載要求(反論権)や紙面・番組への参加などです。

アクセス権に関する重要判例

アクセス権については、憲法21条1項から直接導くことができないとされており(アクセス権は憲法では保障されない)、判例でも「新聞記事に取り上げられた者は、当該新聞紙を発行する者に対し、その記事の掲載により名誉毀損の不法行為が成立するかどうかとは無関係に、人格権又は条理を根拠として、右記事に対する自己の反論文を当該新聞紙に無修正かつ無料で掲載することを求めることはできない」と反論権を否定しています。(最判昭62.4.24:サンケイ新聞事件

報道の自由(憲法で保障されている)

報道は、事実を告げ知らせる行為で、報道機関の報道が、国民の知る権利に奉仕するという重要な意義を有しています。そのため、報道の自由は、憲法21条1項の表現の自由に含まれ、憲法で保障されています。

取材の自由(十分尊重に値する)

取材の自由とは、報道機関が事実を報道するために情報収集を行う自由を言い、下記の通り、判例でも、表現の自由を規定した憲法第21条の精神に照らし、十分尊重に値するものとしています。

取材の自由に関する重要判例

  • アメリカの原子力空母の佐世保港入港に反対する学生が、機動隊と衝突し、その映像をNHK福岡放送局等が撮影した。そして、福岡地裁は、放送局に対して、衝突の状況を撮影したテレビフィルムの提出を命令しました。これに対し、放送局は、憲法21条に反していると拒否して争われた。最高裁は、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。そのため、思想の表明の自由と並んで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにある。そして、このような報道機関の報道が正しい内容をもつために、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない。」として、取材に自由について、憲法で保障されているとまではいえないが、十分尊重に値するものとしています。(最大決昭和44.11.26:博多駅フィルム提出命令事件
  • 新聞記者Xは、沖縄返還交渉に関し、日米間の密約の存在を裏付ける秘密文書の写しを持ち出すことを、外務省事務官Yに執拗に迫り、そそのかして文書の写しを入手した。これに対して、Yは、国家公務員法111条等に違反するとして争われた。これに対して、最高裁は「報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといって、そのことだけで、直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく、報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。」として、手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、違法性はないとしました。(最決昭53.5.31:西山記者事件)

表現の自由に関するその他の重要判例

  1. 税務署の職員が収賄容疑で夜中に逮捕されました。その翌朝に新聞朝刊で報道されました。あまりにも短時間で情報を得ていることから、裁判所か検察職員に、逮捕状執行前に新聞記者Xに情報を漏らした者がいるのではないかと、国家公務員法違反の容疑で捜査が開始されました。そして、この記事を書いたXが証人喚問されました。しかし、Xは、取材源の秘匿を理由として宣誓証言を拒み、争われた。この点について最高裁は、刑事訴訟法149条に、証言拒絶できる者を列挙しているが、記者は含まず、刑事訴訟における証言拒絶の権利まで保障したものではないとした。(最大判昭27.8.6:石井記者事件)
  2. 「夕刊和歌山時事」の経営者Xが、「夕刊和歌山時事」の中に、他社Yの「特だね新聞」の取材の仕方が恐喝まがいの取材の仕方をだと批判する記事を載せた。それに対して、Yは、Xの行為が名誉毀損にあたるとして争われた。この点について最高裁は、「刑法230の2の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法230条ノ2第1項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当」とし、真実であることを証明できない場合でも、相当の理由があるときは、名誉棄損罪は成立しないとした。(最大判昭44.6.25:夕刊和歌山時事事件)
  3. 雑誌「月刊ペン」の編集局長Xが、「大罪犯す創価学会」という記事を取り上げ、名誉棄損罪にあたるのではないかと争われた。この点について最高裁は、「私人の私生活上の行状であっても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによつては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、
    刑法230条の2第1項にいう『公共の利害に関する事実』にあたる場合があると解すべきである」として、名誉棄損罪に当たるとされた。(最判昭56.4.16:月刊ペン事件
  4. アメリカ人弁護士Xは、事前に法廷でメモを取っていいか日本の裁判所に許可を求めたが、不許可となった。一方、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対しては許可していました。そのためXは、自分に対する不許可措置は「知る権利(憲法21条)」を侵害しているとして争われた。これに対して最高裁は、「法廷で傍聴人がメモを取ることを権利として保障しているものではないが、法廷で傍聴人がメモを取ることは、その見聞する裁判を認識記憶するためにされるものである限り、憲法21条1項の精神に照らし尊重に値し、故なく妨げられてはならない。」とし、法廷での筆記行為は権利として保障されていないが、尊重に値するとした。(最大判平元.3.8:レペタ訴訟
  5. TBSの番組で、暴力団組長による債権取立ての場面が放映され、警視庁は当該組長を逮捕。その後、警視庁は、裁判所の許可を得て、関連ビデオテープをTBS本社内で差し押さえた。それに対し、TBSは、差押処分の取消しを求めて、争われた。これに対し、最高裁は、「差押の可否を決するに当たっては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押さえるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによって報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情比較衡量すべきであることは、明らかである」とし、本件差押は、適正迅速な捜査の遂行のためやむを得ないものであり、TBSの受ける不利益は、受忍すべきものというべきということで、ビデオテープの押収は憲法21条1項に反しないとした。(最決平2.7.9:TBSビデオテープ押収事件)
  6. 民事事件において証人となったNHK記者Xが、取材源については職業の秘密に当たることを理由に証言を拒絶して、取材源秘匿権について争われた。これに対して最高裁は、「秘密の公表によって生ずる不利益と証言の拒絶によって犠牲になる真実発見及び裁判の公正との比較衡量により決せられるというべき」として、報道関係者の取材源の秘密は、民事訴訟法197条1項3号の職業の秘密に当たるとし、証言を拒むことができるとした。(最決平18.10.3:NHK記者取材源秘匿事件)

<<思想・良心の自由(憲法19条) | 事前抑制と検閲(憲法21条2項)>>

思想・良心の自由(憲法19条)

憲法第19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

思想および良心とは?

思想および良心の自由とは、心の中で何を考え、何を思うかは、他人から一切干渉されない自由を言い、思想および良心の自由は、憲法で保障されています。

そして、「思想及び良心」とは、「宗教上の信仰に準ずべき世界観・人生観等個人の人格形成上確信をなすもの」と解されています。

思想および良心の保障の意味

「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」の「侵してはならない」とは、下記2つの意味があります。

  1. 国民がいかなる国家観、世界観、人生観をもとうとも、それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり、国家権力は、①内心の思想を理由に不利益を課すことはできず、②特定の思想を禁止することもできない
  2. 国民がいかなる思想を抱いているかについて、国家権力が、その思想がどのようなものかを表明するよう強制することはできない(沈黙の自由
    例えば、江戸時代のキリスト教徒の弾圧の際に行われた「踏み絵」や、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査は認められません。

思想・良心の自由に関する重要判例

  • 衆議院議員総選挙に立候補したXと、その対立候補のYがいました。
    Xは、選挙運動中に、ラジオや新聞を通じて、「Yが副知事在職中に汚職をした」事実を公表した。
    しかし、Yには、そのような汚職の事実はなく、名誉毀損を理由にXを訴え、一審、二審とも、名誉毀損を認め、Xに対して新聞に謝罪広告を掲載することを命じた。
    これに対しXは、「謝罪広告を強制することは、憲法19条の保障する良心の自由を侵害する」として、上告しました。
    最高裁は、「謝罪広告を新聞等に掲載することを命ずることは、債務者の人格を無視して、著しくその名誉を毀損して、意思決定ないし良心の自由を不当に制限するものとなる」ということは認めたうえで、「単に事態の真相を告白し、陳謝の意を表明するにとどまる程度のものであれば、これを強制したとしても、憲法19条に反するものではない」とした。(最大判昭31.7.4:謝罪広告事件
  • Xは麹町中学校に在籍中に、政治活動をしていた(麹町中全共闘と名乗り、文化祭紛争を叫んで学校内に乱入、ビラまきをしていた)。そのことが、高校受験における内申書に記載され、「基本的な生活習慣」「公共心」「自省心」の欄にC評価(三段階の最下位)を付けられた。
    その結果、Xは高校受験にすべて落ちた。これに対して、Xは、思想・良心を教育の評価対象とすることが、思想・良心の自由に反するのではないかと争われた。これに対して、
    最高裁は「内申書の記載は、Xの思想・信条そのものを記載したものでないことは明らかであり、ここに書かれた外部的行為によってXの思想、信条を了知しうるものではないし、また、Xの思想、信条自体を高等学校の入学者選抜の資料に供したものとは到底解することができないから、違憲の主張は前提を欠き、採用できない」とし、Xの請求を棄却した。つまり、「内申書に記載されていたことは単に外見的な行為にすぎず、思想信条を記載したものではない」とし、内申書に記載した内容は、思想・良心の自由に反するとはいえないとした。(最判昭63.7.15:麹町中学内申書事件
  • 市立小学校の教諭Xは、校長から「入学式の国歌斉唱の際に『君が代』のピアノ伴奏をするよう」職務命令を受けたが、Xは、職務命令に従わなかった。そのことが原因で、Xは、教育委員会から戒告処分を受けた。それに対してXは、上記命令は思想・良心の自由を定めた日本国憲法第19条に違反するとして、上記処分の取消しを求めた。これに対して、最高裁は、「Xに対して本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が、直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないというべき」として、本件職務命令が憲法19条に違反しないとした。(最判平19.2.27:「君が代」ピアノ伴奏拒否訴訟)
  • 市立小学校の教諭Xは、校長から「君が代斉唱時に起立するよう」職務命令を受けたが、Xは、職務命令に従わなかった。そのことが原因で、Xは、教育委員会から戒告処分を受けた。それに対してXは、上記命令は思想・良心の自由を定めた日本国憲法第19条に違反するとして、上記処分の取消しを求めた。これに対して、最高裁は、「上記の起立斉唱行為は、学校の儀式的行事における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする当該教諭の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものではなく、上記職務命令は、その歴史観ないし世界観それ自体を否定するものとはいえない。」として、本件職務命令が憲法19条に違反しないとした。(最判平23.5.30:「君が代」起立斉唱拒否訴訟)

<<法の下の平等(憲法14条) | 表現の自由(憲法21条)>>

法の下の平等(憲法14条)

憲法第14条1項
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

法の下の平等とは?

上記条文の「法の下の平等」とは、法を執行し、適用する行政権・司法権が国民を差別してはならないというだけでなく、法の内容自体も平等原則に従い、定めなければならないことを意味します。例えば、法律で、「所得税は一律100万円」としたとします。一見すると平等に見えますが、「年収100万円のA」も「年収2000万円のB」も、所得税が100万円なので、Aは生活ができなくなり、Bは1900万円も残ります。これでは、実質的に平等とは言えません。つまり、憲法上の「法の下の平等」とは絶対的な平等(税額が同じ)ではなくて、性別や年齢、財産、職業、年収などの違いを前提とした平等(相対的な平等)を求めています。

また、恣意的(論理的でなく自分勝手)な差別は許されないですが、合理的な区別は許されます。例えば、「年収100万円の人は、所得税を免除して、年収2000万円の人は、所得税600万円」という風に異なる扱いをしても憲法違反になりません。

法の下の平等の重要判例

  • 尊属殺人とは、目上の親族を殺害することを指します。そして、かつての刑法200条では、尊属殺人罪の場合には、死刑か無期懲役しかありませんでした。一方、他人を殺害した場合は、死刑・無期懲役のほか、有期の懲役刑も定められており、場合によっては、執行猶予も可能でした。このように尊属殺人について、重く処罰される法律は、憲法14条の法の下の平等に違反するとして争われた。
    最高裁は、次のように述べた。「尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。」しかし、「尊属殺の法定刑が死刑または無期懲役刑に限られている点においてあまりにも厳しいものであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。」したがって、かつての刑法200条は、憲法14条に違反するとして、違憲判決が下された。(最大判昭48.4.4:尊属殺重罰規定違憲判決
  • かつて国籍法3条1項では、「日本人の父」と「外国人の母」との間に出生した後に父から認知された子につき、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した場合に限り日本国籍の取得を認めていた。そして、結婚していない「日本人の父」と「フィリピン人の母」との間に出生したXが、出生後に父から認知を受けたことを理由に法務大臣あてに国籍取得届を提出したところ、父母がその後、結婚していないため、上記3条1項の要件を満たしていないとして、日本国籍の取得を認められなかった。これに対して、Xは、父母の婚姻(嫡出子であること)を国籍取得の要件とする上記規定は、法の下の平等を定めた憲法14条に違反するなどと主張して、争った。この点について最高裁は、「日本国民である父から出生後に認知されたが、婚姻まではしていない場合(非嫡出子)の扱いについて、著しく不利益な差別的取扱いを生じさせているといわざるを得ず」かつての国籍法3条1項は、憲法14条に違反するとして、違憲判決が下された。(最大判平20.6.4:国籍法3条1項違憲判決)
  • かつて民法900条4号ただし書きにおいて、法定相続人として嫡出子と非嫡出子がいる場合には、非嫡出子の法定相続分は嫡出子の法定相続分の2分の1とするという規定が置かれていた。つまり、「婚姻した夫婦間で生まれた子」と 「婚姻外の男女間の子」では、相続分が2倍違うということです。これは、憲法14条の法の下の平等に違反するのではないかと争われた。最高裁は、「父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている」として、上記民法900条4号ただし書きは、憲法14条1項に違反し無効であるとした。(最大決平25.9.4:非嫡出子相続分差別違憲決定
  • 再婚禁止期間を定めるかつての民法733条1項では、「女性は離婚や結婚取り消しから6ヶ月を経た後でなければ再婚できない」との規定されていました。男性には上記規定はなく、これは、平等違反ではないかと争われた。この点について、最高裁は、「再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別しているから、このような区別をすることが事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には、本件規定は憲法14条1項に違反することになると解するのが相当である。そして、本件規定のうち100日の再婚禁止期間を設ける部分は、憲法14条1項に違反するものではない。これに対し、本件規定のうち100日超過部分については,民法772条の定める父性の推定の重複を回避するために必要な期間ということはできない」として、100日を超える部分は違憲として無効と判断しました。(最大判平27.12.16:再婚禁止期間違憲訴訟)
  • 民法750条では、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」と夫婦の姓は同じにするように規定しています。96%以上の夫婦において夫の氏を選択するという性差別を発生させ、ほとんど女性のみに不利益を負わせる効果を有する規定であるから、憲法14条1項に違反するのではないかと争われた。これに対して、最高裁は「本件規定は、夫婦が夫又は妻の氏を称するものとしており、婦がいずれの氏を称するかを夫婦となろうとする者の間の協議に委ねているのであって,その文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく、本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではない」として、憲法14条1項に違反はしていないとした。(最大判平27.12.16:夫婦別姓訴訟)

衆議院議員定員不均衡訴訟

衆議院議員選挙と参議院議員選挙では、内容が異なるので別々に考えましょう。

そして、衆議院議員選挙についての議員定数不均衡訴訟は、いくつか判例があるのでそれぞれ覚えておきましょう。

  • 一票の較差が最大4.99倍であった昭和47年の衆議院議員総選挙の定数配分が投票価値の平等に反していないか争われた。これに対し、最高裁は、「法の下の平等には投票価値の平等も含まれる。また、投票価値の不平等が合理性を有するとは到底考えられず、かつ合理的期間内に是正されない場合は違憲となる」とした。そして、「今回の昭和47年の衆議院議員総選挙については、約8年間是正されなかったので、合理的な期間を超えている」として、違憲とした。しかし、「違憲となる場合でも、事情判決の法理を適用して、選挙は無効とはならない」とした。(最大判昭51.4.14:衆議院議員定員不均衡訴訟①
  • 一票の較差が最大2.30倍であった平成21年の衆議院議員総選挙の定数配分が投票価値の平等に反していないか争われた。これに対し、最高裁は、「投票価値の不平等の要求に反する状態にあった」とした上で、「合理的期間内における是正がなされなかったとは言えない」として、憲法14条1項に違反しないとした。(最大判平23.3.23:衆議院議員定員不均衡訴訟②)
  • 一票の較差が最大2.129倍であった平成26年の衆議院議員総選挙の定数配分が投票価値の平等に反していないか争われた。これに対し、最高裁は、「投票価値の平等の要求に反する状態にあった」とした上で、「一人別枠方式が廃止され、選挙制度の見直しの検討がされ続けており、合理的期間内における是正がなされなかったとは言えない」として、憲法14条1項に違反しないとした。(最大判平27.11.25:衆議院議員定員不均衡訴訟③)

参議院議員定員不均衡訴訟

  • 一票の較差が最大4.86倍であった平成19年の参議院議員通常選挙の定数配分が投票価値の平等に反していないか争われた。これに対し、最高裁は、「投票価値の平等は,参議院の独自性など,国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものである。そして、選挙区間における投票価値の不均衡について、平成24年に改正をしたものの、平成25年7月21日施行の参議院議員通常選挙当時において、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあった。しかし、上記選挙までの間に、更にもう一度改正がされなかったことをもって国会の裁量権の限界を超えるものとはいえず(裁量の範囲内として仕方がないとして)、上記規定が憲法14条1項等に違反するに至っていたということはできない。 」として、配分規定が4.86:1であったとしても憲法14条1項に違反しないとした。(最大判平26.11.26:参議院議員定員不均衡訴訟)

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幸福追求権(憲法13条)プライバシー権など

憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法13条(幸福追求権)は、上記の通り、非常に抽象的で分かりにくい内容です。

しかし、このように抽象的な内容であるがゆえに、社会・経済の変動によって生じた様々問題に対して法的に対応することが可能であるのも事実です。

その結果、憲法13条(幸福追求権)は、憲法に列挙されていない新しい人権の根拠となる一般的かつ包括的な権利であり、この幸福追求権によって基礎づけられている個々の権利は裁判上の救済を受けることができる具体的権利(憲法上保障される権利)であると解されています。

幸福追求権の内容

幸福追求権については、憲法13条後段において「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」として保障しています。
つまり、具体的に、憲法で保障されているということです。
その具体的な権利の内容については、2つの考え方(一般的行為自由説人格的利益説)があります。

  • 一般的行為自由説あらゆる生活領域に関する行為の自由を保障するという考え方
  • 人格的利益説:個人の人格的生存に不可欠な行為の自由を保障するという考え方(通説)

幸福追求権から導きだされる具体的な人権

幸福追求権から導き出される具体的な権利は、プライバシーの権利、環境権、日照権等色々ありますが、最高裁の判例で、「プライバシーの権利としての肖像権」については、憲法上保障される権利としています(最大判昭44.12.24:京都府学連事件)。

この幸福追求権については、判例を押さえることが行政書士に合格するために重要となってきますので、判例を勉強してきましょう!

プライバシー権の2つの側面

プライバシー権利は、「消極的な権利としての側面」と「積極的な権利としての側面」2つの側面を持っています。

  • 消極的側面:受動的な権利で、誰かに侵害されたときに損害賠償などをすることができる権利を言います。
  • 積極的側面:能動的な権利(自分の情報をコントロールする権利)で、積極的に情報公開や削除などを求める権利を言います。

幸福追求権に関する重要判例

  • デモ隊の大学生Xは、「行進隊列は4列縦隊とすること」という条件付きで許可をもらって、デモ隊を誘導していた。その後、機動隊ともみあいになって、隊列が崩れた。これを許可条件に違反すると判断して、警察官は、デモ隊を写真で撮影した。この撮影行為は、肖像権を侵害するではないかということで争いになった。これについて、最高裁は、「何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有し、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し許されない」として、プライバシーの権利としての肖像権を憲法上保障される権利と認めた。(最大判昭44.12.24:京都府学連事件
  • アメリカ人Xが、日本で新規の外国人登録をしようとした。その登録の際に、提出書類に指紋押なつを拒否したため、外国人登録法違反で起訴された。これに対して、指紋押捺制度は憲法13条に違反すると主張して、争われた。最高裁は、「何人も個人の私生活上の自由の一つとしてみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有し、国家機関が正当な理由もなく指紋の押なつを強制することは、憲法一三条の趣旨に反し許されない。」として、プライバシー権を憲法上保障される権利として認めた。(最判平7.12.15:指紋押捺拒否事件
  • Xが会社Yを解雇され、XはYを相手に、解雇は不当だと争った。Yの弁護士は、弁護士会を通じて京都市伏見区役所にXの前科・犯罪経歴の照会を行った。それに対して、区長は、前科・犯罪経歴を回答した。Xは、この区長の「前科・犯罪経歴を回答した事実」がプライバシー権侵害にならないかが争った。これに対して、最高裁は、「前科及び犯罪経歴は、人の名誉・信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する。」また、「市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたると解するのが相当である。」とし、区長の照会の違法性を認めた。(最判昭56.4.14:前科照会事件)
  • 傷害致死事件の犯人Xを題材にしたノンフィクション小説「逆転」の中に実名で記された人物Xが、プライバシーの権利を侵害されたとして、慰謝料を請求し、争われた。最高裁は 「前科等に関わる事実を公表されないことは、法的保護に値する利益を有する」とし、「前科等にかかわる事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するときは、Xは、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができる。」とした。(最判平6.2.8:ノンフィクション「逆転」事件
  • 宗教上の理由で輸血を拒否していたエホバの証人の信者が、手術の際に無断で輸血を行った医師、病院に対して損害賠償を求め、争われた。最高裁は「患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。」とした。(最判平12.2.29:エホバの証人輸血拒否事件
  • 民法750条では、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」と夫婦の姓は同じにするように規定しています。これに対して、夫婦同姓の強制(氏の変更を強制されない自由)は憲法13条の権利として保障される人格権の一内容である「氏の変更を強制されない自由」を不当に侵害しているのではないかと争われた。この点について、最高裁は、「氏に,名とは切り離された存在として社会の構成要素である家族の呼称としての意義があることからすれば、氏が、親子関係など一定の身分関係を反映し、婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは、その性質上予定されているといえる。この氏の性質等に鑑みると、婚姻の際に氏の変更を強制されない自由が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない」として、本件規定は憲法13条に違反するものではないとした。(最大判平27.12.16:夫婦別姓訴訟)

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